2021-03-18
人は一体何のために生きているのか?そりゃ自分のためでしょう
最近投稿数が減っているのは、この一年間まともな外出せずに引きこもっているからである。身体的な行動から得られる固有の情報源がないのが一番の理由といっていい。
日々、優れた情報発信を継続している人たちは、毎日の貴重な時間を使って、何かしらの行動を継続し、そこから得られる体験と経験値の積み上げ量の豊富差をベースに有益な発信を続けている。
自分は同じようなことができるのだろうか?
改めて、他人と差別化できる有益な情報発信分野を自分がもっているのかと考えてみると、情けないけどほとんどない。
自分の狭い世界で出会っている周りの人たちと比較すれば、他人より詳しい分野はあるにはあるが、インターネットで優れた情報発信している人たちのレベルと比較してしまうと、とても自分レベルが多くの人を感動させられるような情報発信できる自信は持ち合わせてない。
たとえば国道。
おそらく世間水準よりはるかに国道について詳しいと思っているが、ネット界隈にいる国道マニアの人たちを前にすると、とてもじゃないけど歯が立たない。
Webシステム開発にしても、プロと比較すると私の知見レベルはクソレベルでしかない。世間的にはLinuxを使ってインターネットサーバ構築が行え、Webページ制作も手書きだけでそれなりのページも作れるし、データベース操作だってできる。最近はWebマーケティング力もそれなりに向上したと自負している。
でもネットでの情報発信で他人を差し置いてアクセス数を稼げるだけの情報商材を作れるのかと言われると所詮はクソレベルの知識でしかない。
日本の誰よりも特定の分野なら勝てるだけの尖った情報を持っていない限り、情報発信で稼ぐのは私には無理である。
他人を魅了するだけの文章力もない。
すべてが中途半端なレベルの知識しかない私だが、唯一そこそこ勝負できると思っているのが、世界の主要都市の空港から市街地までのアクセス手段についてと世界の各都市の地下鉄の乗り方知識の量は水準以上だと思っている。
コロナ禍において、まだまだ海外に気軽に行けない現段階のうちに、これまで得た海外の地下鉄の乗り方を取りまとめておけば、それなりのアクセス数を稼げるサイトが作れるのではないかと考えたりもしている。
もうかれこれ昨年の1月の釧路に行った時以来、1年以上空港ターミナルビルに足を一歩も踏み入れていない。国内移動も、昨年の北海道と東北の国道走行と、紀伊半島縦断国道走行程度であって、ほぼほぼ引きこもり生活が続いている。
先日、YouTubeで海外の映像を見たが、やっぱり自分の知らない土地に出向くアウェイ感を久しぶりに味わいたい感情が蘇ってきた。
人は一体何のために生きているのか?
仕事のため?
家族のため?
自分のためでしょう。自分が楽しいと思える体験を人生の中からできるだけ多くの時間を確保するのが重要ではないだろうか。そして好きなことをする時間を手にするにはお金の存在が必要不可欠となる。
もう一度、自由に海外に行ける日を待ち望みながら、今はせっせと収入を上げるために知恵を絞っていきたい。
強制的に自宅に引きこもっている今の時間を未来の価値のある時間のために、しっかりと収入を増やすために力を注いでいく。全ては自分のために。