2021-04-01
脱炭素社会、EV化の本質を見抜けばイライラがなくなる
脱炭素社会ブームの本質はどこにあるのか。本気で環境のためだとか地球のためだんて思っていたら相当ヤバい。答えは国際政治マウント争いである。
以前ここで書いたが、地球温暖化の原因はCO2排出だけが原因ではない。いくつもある要因の一つにしかすぎない。CO2排出量だけでいえば、コロナが蔓延する前と現在とでは圧倒的にCO2排出量が世界的に減少している。
世界人口レベルで国家間の移動制限が掛かり、世界の航空会社の経営が軒並み瀕死状態まで陥るほど、飛行機が飛んでいない。当然世界レベルでCO2排出量が減っている。だけど誰もそのことを論じていない。
あくまで個人的推測だが、脱炭素戦略は国家レベルで巻き起こるマウント争いであることに気づく必要がある。
おそらく優秀な政治家たちもわかっていて、世界の潮流に沿って炭素を悪者扱いの先導者となって、権力争いを演じているのである。
そもそも排出量取引という概念を考えてみれば解る。地球の事を考える上で排出量取引が無意味であって、経済の材料として国際取引ルールが作られていることに気づく必要がある。
排出量削減に対応しない企業には重課税を課すルール作りが進展しているは、まさに政治力による策略であることに気づかなければならない。
情報漏えいも同じようなことが言える。
個人情報の漏洩事故による本当のマイナス要素は、情報漏洩によって第三者に悪用されるリスクの確率より、漏洩した事実行為に対して、世間が許さない社会的背景への弁明対応負債リスクこそが本当のリスクとなっている。
普通な感覚では、クソ役に立たない企業の内部情報が外部に多少漏れても、情報を得た第三者が直ちに金銭に換えることはできない。言い換えれば、たかが個人情報であって、無価値に等しい情報である。
つまり、実態問題として、著名人でも大富豪でもない一般市民の個人情報なんて、無価値に等しい情報のほうが圧倒的に多いはずだ。
しかし今は法的にもなんの価値すらない個人の情報が漏洩したという事実があるだけで、該当会社をはじめ、担当者や責任者を徹底的に叩きのめす社会風土と法的責任が課せられる。漏洩リスクの本質はここにある。
企業は信用度失墜するリスクを回避させるために、生産性が下がる過剰なセキュリティ対策のために多額のお金を払って対策を講じている。ある種、経済対策ともいえる。
要するに、様々な規制や社会的制裁ルールを作り出すことによって、特定の企業が潤う仕組みこそに本質にあるのだ。
資本主義で生きている私たちは、表向きの部分と、ウラで動くマネー両方の視点をおいて物事を正しく見抜く必要がある。
自動車のEVシフトも、発電時の排出量をトータルで計算すれば、明らかに脱炭素と逆行しているわけだが、あえてそのことに触れず、EV化こそがこれからの未来とする政治的戦略を取ることで、これまでの自動車業界の既得権益の壁をぶち壊すきっかけを作っている、と捉えれば納得が行くのではないか。
私はこれまでクソ真面目に、廃プラ有料化が脱炭素に意味がないとか、EV化は温暖化とは無関係とか、企業のセキュリティ対策の過剰対策とか、真正面から批判してきた。
だが、最近考えが変わった。
本質はどこにあるのか。誰が経済的利益を得るのか。
これらをすべてわかった上で、あえてEV化をすすめる、脱プラをアピールする、企業の情報管理の正しそうに演出する。すべてビジネスとして捉える視点で物事を考えれば、イライラが減っていくことに気づいたのである。
とはいえ、全面EV化になる前に、なんとかしてでも、次のマイカー購入は、ガソリンハイパワーターボエンジン車を買いたい。期待しながら待っている。