2022-11-27公開2022-11-28更新
大企業と中小企業、どちらを選べば人生は豊かになれるのか
中学校から高校時代の頃、大企業と中小企業、どちらを選ぶみたいな話を聞かされた記憶があると思う。
デジタルネイティブのZ世代は、もしかしたら企業への就職かフリーランスかみたいな第三の選択もあるのかもしれないが、昭和世代の私たちは、将来どうする的な話になると必ずといって良いほど、大企業か中小企業の選択が話題に上がったものだった。
しかし大学受験の頃からこの手の話題は壊滅する。
理由は大企業に入社するには一流大学卒業が必須だからだ。進学可能な大学ターゲットが絞られてくる高校2年あたりから選択話は消失する。三流大学、ましてFラン大学出身では、名のしれた大企業入社はコネでも無い限り不可能だ。
大企業への就職は、一流大学に入学できてこそ、人生の選択先として許されるのだ。
もし三流大学卒や高卒で、コネもない人が通常ルートで大企業に入社する人は、定年まで一兵卒で働く兵隊アリのまま過ごすことになる。
私は当時偏差値51~53程度の三流大学を卒業後、中小企業に入社した。
バブルが弾けた直後の加え、第二次ベビーブームのピーク世代だったため、大企業への就職への門は固く閉ざされ、中小企業への就職すら厳しい時代だった。
中小企業の面接でも早慶上智の学生が応募してくるほどの就職氷河期世代。大企業に就職する選択肢は完全に剥奪された環境だった。
大企業には大きく2種類に分類される。
・優秀な人材だけで構成されている企業
・優秀な人材と一般レベルの人材が混在している企業
前者は大手メーカーや商社に相当し、後者は飲食やサービスなど、机の上で仕事をするホワイトカラーと現場職の2段構成で構成する企業をさす。
あれから早27年。卒業してからずっとお世話になった会社を退職し、今年4月から大企業に転職した。
通常、新卒で中小企業に就職すると前者のような大企業への転職は難しい。
中小から大企業に転職できる数少ない人は、ほぼ例外なく出身大学が有名レベルクラスの人たちだ。大企業には根強い学歴フィルタが存在する。
一方、低学歴でも大企業に就職できるケースは、後者のような大企業をさす。
私はもちろん後者タイプの大企業だ。
社会情勢的に表面化されていないが、今でも大企業の採用基準には、過去実績として出身大学や前職の企業規模が採用可否判定として存在する。
学歴が三流の場合で大企業に転職できる場合は、最初に書いたように後者の大企業の中で一兵卒で働くことになる。
ところで、これまでいろんな方たちと仕事をしてきたが、高学歴出身者はなんだかんだ地頭がいい人が多い。
会話のレベルも極めて高い人ばかりである。
低学歴なのに自頭が良い人はめったにいない。
テストの点数だけで判断する受験戦争を揶揄される時代とはいえ、テストで高い点数が取れる人は、おのずと自頭が良い。紛れもない事実だ。
ただ、自頭が良いことと仕事もできることは異なるとされるが、自頭が良いのに仕事ができない人は、戦略的に仕事をしない人が多いというのが私の認識だ。
あえて面倒だからやりたくないとか、適当にやっているフリをして高い給料を淡々ともらうのが楽だとか、何かしらの理由で戦略的に仕事をやらないだけであって、自頭が良いのに本当に仕事ができない人は、少なくとも私は出会ったことがない。
私はこれまで長年、中小企業に所属する人たちに囲まれて社会人生活を過ごしてきたが、50歳近くになって、周りの人たちの環境はガラリと一変し、高学歴の人たちにかこまれた毎日を過ごしている。
スポーツチームに例えれば、草チームでレギュラーでのプレーから一流チームに入って補欠になったような感覚だ。
はっきり言って中小企業時代のほうが仕事は充実していたし、やりがいもあった。
それが今は、優秀な上司がレギュラーで、私は補欠ポジションでの仕事となっている。
中小時代は、やるべき仕事をすべて自分で決めて、自分で目標を立てて、自分で期限を決め、自分で意思決定する環境だった。
転職後は、上司に向けて適時進捗を報告し、何かをするにしても常に上司にお伺いを立てなければならないポジションに様変わりした。
幸い、上司は超優秀で部下の意見を聞くスタイルであり、私のような意見も丁寧に耳を傾けてくれる。
とはいえ、何をやるべきかについてから、常に上司に報連相して了承を得る手順が求めなければならない。なぜなら私に業務決定権が一切与えられていないからだ。
すると徐々に自分で考えることが面倒になり、気づけば上司の方針や考えを伺い、淡々と言われたことだけをやるだけの作業マシン化さえしていれば良いという発想になってしまっている。
それでも大企業に努めながら、やりがいを維持するための方策としては、社外に向けて仕事をする方法がある。
社外の人たちと相手していれば、社内では一兵卒でも、外では大企業の看板をもって対外的な仕事をしているだけで一定のモチベーションが担保できるのだ。
しかし、今の私は内部向けの仕事に特化した業務を行っている。
私の今のお客様は、社内の別部署の人たちだ。
社外的な活動は皆無。毎日、内向き志向にならざるをえない環境となっている。
内向きな仕事をするため、外部から与えられるタスク管理の世界。まもなく50歳を迎えるのに、何一つ決定権がなく、今後も定年まで、上司に管理される側立場で仕事をするのは正直いってかなり辛い。
こうして今の自分を振り返ると、
「誰かに目標設定されて、クリアしなければならない状況」
にさらされている状況がたまらなく嫌なんだと、改めて気づいたのだ。
中小企業時代の新入社員の頃の数年間を除き、20年以上ずっと「自分で目標設定をして、自分で期限を決めてクリアする状況」で過ごしてきた。
大企業に転職してて改めて気付かされた。
今の会社で、今後自分が何かしらの決定権を持てるポジションになる可能性は完全ゼロ。
定年まで上司にお伺いを立てるポジションが継続する。今はまだ50歳でも、あと5年もすれば年下の上司にお伺いを立てる世界がやってくる。
サラリーマンの傍ら、マイビジネスも併用する生活を送っているが、マイビジネスはすべて自分で考え、自分で決定し、自分の責任で仕事をする環境だ。
売上が立たない時期は別の苦しみがあるが、マイビジネスに取り組んでいる時間は楽しくて仕方がない。
転職当時は、サラリーマン時間は思想を機会化して、自分の意思表示はマイビジネスの世界で発散すれば良いと思ったが、サラリーマン時間の拘束量と、他人から目標設定され、日々ToDoリストで管理下にさらされる世界は、私にはどうしても合わない。
本来なら最も油が乗り切りるはずの50代を、こんな気持のまま過ごすべきではない。
もう一度、新たな選択するため、再挑戦しようと行動を開始した次第である。