仕事の種類を大別すると「消費系」と「資産系」に分類される。
消費する仕事とは、活動によって得られる成果がその場限りで消えてしまう仕事をいう。
資産化する仕事とは、活動によって得られる成果が、その後も再利用可能な仕事をいう。
どちらが優れていて、どちらが劣っているかの話ではなく、世の中にとって、どちらも必要不可欠な仕事である。
会社員の人は、消費する仕事に従事するウエイトが高い。
なぜなら、消費する仕事は、活動時間に応じて対価が設定され、仕事に従事する本人も、時間対価で給料が設定されるルールを自覚し、受け入れいているからだ。
消費する仕事であっても、部分的に資産化につながることも多い。
これを
スキルという。
スキルという資産を獲得できると、消費する仕事の質を高められる原動力となるからだ。
特に、若い世代は、日々の与えられる仕事を極めれば、高いスキルを手にして、より高い単価の仕事に従事できる可能性が広がる。
ところが、私のように、50代以上の世代となると、スキルの向上にも限界がある。
正しくいえば、スキルは向上し続けられても、今より、高単価な仕事を手にできるチャンスは減少する。
もう少し正確に表現すると、スキル向上により得られる単価には上限が存在するため、若い頃から上昇できた単価基準を、50代になっても、更に今以上の単価を得られるのは難しいという意味である。
私は49歳の4月に、新卒から27年間お世話になった中小企業を辞めて、大企業に転職した。
大きな組織で働くとは、何なのか。
中小企業から大企業に転職した者でしか理解できない会社風土の違いを経験した。
手厚い福利厚生、徹底したハラスメント対策、手軽に取得できる有給休暇。もちろん、安定した給料制度。
いずれも、中小のような権力者一人の声で社内ルールが一変するようなことはなく、何事も民主的な合議によってルールが制定される。
たとえ社長であっても、株式公開している限り、勝手な行動は許されない。
たくさんの人が、たくさんの声を集めて、民主的にルールが醸成されるがの大企業である。
一方、小さなことを実行するにも、たくさんの人たちから承認を得なければならない。
承認を取り付けるまでには、たくさんの資料、多段化する組織長への説明、複雑化した社内手続き等、すべてもれなく手続きを済ませなければならない。
中小企業の世界では想像もつかない手間と労力が求められる。
新卒から大企業でしか働いた経験のない人は至極当たり前な話なのかもしれないが、中小企業での勤務歴の長い立場からすると、異常な世界である。
入社当初は、社外の人にメール1通送信するにも、事前に上司へメール文章のチェックを得なければ、勝手に一人でメールすら送信してはいけなかったのだ。
話を戻そう。
大企業で働くには、社内の根回しが重要である。
社内根回しするための資料作成が膨大で、この仕事こそ、消費する仕事となっている。
たった数人の承認者にご納得いただくため、何日もの時間を使って資料作成の仕事をする。
それでも、苦労して完成した資料が、別の機会で再利用されるなら、資産性もあるのだが、大半はその場限りの資料となり、今後、その資料が閲覧される機会はなく、半年もすれば、全く価値のないゴミ化していく。
このように言うと、「業務監査等で当時の資料を閲覧する可能性がある」などと反論する人もいるが、モノの片付けと同様、仮になくても、対して困らないケースがほとんどなのも事実である。
51歳になった私にとって、資産性のない仕事に取り組むのが、耐え難い苦痛となり、ひいては小さなストレスが蓄積していったのである。
そして、今年4月。再び中小企業に再転職する決断を下した。
この決断が本当に正しかったのかは、まだわからない。
もちろん、本当の目標は、自分の事業の成功であるのは、今も変わらない。
現時点、残念ながら自分の事業は副業レベルなので、生活するには会社員をもう少し続けるしかない身なだけだ。
だからこそ、貴重な人生時間を使う本業時間は、資産系の仕事を中心に取り組みたいのだ。
自分の事業は休日返上しても、朝早起きして仕事をしても全く疲れない。趣味の時間を過ごす以上に楽しい。
それは、資産性の仕事が中心だからだ。
- 一度、システムを開発すれば、多くの人の繰り返し使ってもらえる。
- 一度、WEBサイトを作れば、多くの人に閲覧し続けてもらえる。
- 一度、資料を作れば、新規見込み客に配布し続けられる。
たとえ、取り組む仕事に即効性のあるリターンが得られなくても、資産化する仕事を感じられるだけでも、モチベーションが高まるのだ。
一度の労力で継続的に価値を生み出す仕事が資産性のある仕事。
51歳の私の強いこだわりである。