2025-06-27
生成AIが変える未来と、私たちの向き合い方~インターネット以来の大革命、その本質とは~
今やYouTubeでも生成AI関連の動画が溢れかえっている。
自称AI専門家も多く、あれこれ語られている。
だが、ただ「AIはすごい」という話ではなく、もう一歩踏み込んだ「人間と生成AIの本質的な付き合い方」を、素人視点でお届けしたい。
映像制作が激変する時代へ
私が最も衝撃を受けた変化は「映画や映像制作の進化」である。
かつては、映画を作るには巨額の資金、豪華なロケ地、有名俳優といった大掛かりな準備が必要でした。それが生成AIの進化によって、たった数ヶ月で動画生成技術が飛躍的に進化していくことが考えられる。
今後1~2年で、「これAIで作ったの?」と気づかれないレベルの映像が次々と登場してくるだろう。
映画やドラマの現場は、背景もキャラクターもAI生成が主流になる可能性を唱える人がいるが、私はそうは思わない。
俳優の表情や人間の感情が求められる場面では人間の演技が残ると考える。一変するのは撮影方法や編集の在り方だ。
アナウンサーや俳優の「顔」が残る理由
「でも、それって人間の仕事がなくなるってこと?」
そうではない。
人間には、微妙な表情の違い、声の抑揚、空気感を読み取るという「本能」備わっている。
例えば、お札に人の顔が描かれているのも、偽札かどうかを瞬時に判断できる「直感」を利用している。
だからこそ、アナウンサーや俳優という「人間そのもの」の表現は残る。
ただし、その仕事のやり方は大きく変わると予測する。撮影は屋外からスタジオ、背景はAI生成。そんな形で効率化が進んでいくと考えられる。
サラリーマンも変わる。仕事の「やり方」が問われる
では、私たち一般人はどうだろう。
結論から言えば、「仕事がなくなるのではなく、変わる」である。
かつて、見積書を手書きしていた時代から、パソコン、メール、クラウドへと仕事のスタイルは変化していった。同じように、生成AIを「部下」として使いこなせるかどうかが、今後のカギになる。
つまり、私たちは「生成AIに何をさせるか」という「指示力(=プロンプト設計力)」が求められる時代に入ったのだ。
生成AIと“個性”の共存
例えばブログやプレゼン資料を作るとき、すべてをAI任せにするとどうなるのか?
確かに美しい文章にはなる。でも、「その人らしさ」や「熱量」が消えてしまうのではないか。
だから、今後は「素材やアイデアは人間が考える→整えるのはAIに任せる」というハイブリッドな働き方が主流になっていくと私は考える。
プログラミングも「要件定義力」がすべて
プログラミングの世界も例外ではない。
今までは命令文を手打ちしていたのが、関数→フレームワーク→API連携と、どんどん抽象化されてきた。そして次のステップが生成AIである。
「AIがコードを全部書いてくれる時代」は確かに来るかもしれない。
でも、「どんなコードを書かせるのか」という要件定義は人間にしかできないのだ。
ここを曖昧にすると、どんなに優秀なAIでも「イマイチな結果」しか出してくれない点を理解しておきたい。
最終的に、AIは「人間の暇つぶし」を支える存在に
突き詰めれば、AIは人間の生活をより豊かに、より自由にするためのツールだ。
すべてをAIに任せるのではなく、AIを使って時間を生み出し、その時間で「人間にしかできないこと:をやる。これが本質だ。
そして、最終的に人間の行き着く先は「エンターテインメント」や「表現」なんじゃないかと思っている。
生成AIによって誰もが動画クリエイターになれる時代。そこには、多様で個性的な「人間らしいコンテンツ」が溢れる世界が広がっていると、私は信じている。
おわりに
生成AIは確かに驚異的だ。けれど、脅威ではない。
AIは優秀な「部下」であり、主役はあくまで私たち人間なのだ。
これからの時代に必要なのは、恐れることでも、丸投げすることでもなく、「どう向き合い、どう使いこなすか」。この問いを、あなた自身の生活や仕事に当てはめて考えてみてもらいたい。
きっと、あなたの未来がもっと面白くなるだろう。